大江健三郎を読んでいた頃

作家大江健三郎さんが逝去された。88歳。大学生の頃からしばらくよく読んでいた。大江のことをどう書いていたか。古い日記を引っ張り出した。

1969年2月5日。(注・20歳)
 昨日で期末試験は終わりました。地学落ちたのでレポートを書かねばなりません。テーマは岩波新書「日本列島」or「地球の歴史」の感想文。生物は断念します。
3B6810A8-3D04-4CA3-AFBE-56DD033C8508.jpegD3927D08-2343-4FEE-A9B3-0CE54BF88F3F.jpeg▲たくさんあった大江健三郎の本も散逸して、単行本はこれしか、書棚に見当たらない。「個人的な体験」昭和39(1964)年、新潮社刊。初版ではなく同年10月の第2刷。
 今大江健三郎のエッセイ集「厳粛な綱渡り」を読んでいます。その中で彼は「僕ら若い作家が異常な事件を描くのは正常な生活に忍び込む異常さを摘発するためである。僕らの関心は常に最も日常的な現実にある」と言っています。僕は今この一見正常な何ら支障なく他人には益でもなく害にもならず行われている僕の生活の中で、シロアリが内部からどんどん蝕みやがて自分の体が音もなく崩れ去るような不気味さを時々、いや絶えず感じています。
 実際僕は益にも害にもなっていない。お袋から大義名分でお金をもらいその範囲内で本を買い、酒を飲み、パチンコをし、麻雀をし一年の最後になればただただ落第しないように日本語訳を無理矢理暗記する。そしてつぶやく「俺みたいに不真面目な学生にはやっぱり試験は必要だな」。
 試験が終わって階段を降りてくると、ある種爽快な気分が僕を満たします。あの紙切れ1枚で1年間の怠惰(モンゴル語にのみ関してではありません)が償われたような。
 僕はこの2年間大学で何を学んできたんだろうかと問いかけます。振り返ってみたらそれは授業に出なくても家で誰かのノートを見ればできる。もしあればテレビの講座でやれる。そんなことをわざわざ、そして当然かのようにあの薄暗い小さなB-11教室でやっていたのか。
 
君は言うかもしれない。語学というものはもともと、最初は知識の詰め込みを必要とし、ある段階に至るまではそれは苦痛を伴うものだと。だが僕たちは語学をのみ先生から授けてもらうためにこの外大を訪ねたのだろうか。いや言い方がまずい。僕らは確かに語学を学びに来た。だが、その語学を学ぶこと、それを通して何をしようとするのか。それを僕は自分に問いかける。学ぶとはどういうことなのか。担任教師から学生に一方通行的に知識や、何年も前から全く変わらない進歩の止まった形骸化し、死に絶えた知識が移転されるということなのか。そしてその先生のお説をどれだけしっかり覚えたかをあの紙に書き記す。それですべてはめでたしめでたし。

 僕は反抗しようと思った。あのモンゴル語の縦文字(1940年代までモンゴルではウイグル文字の流れをくむ釣り針を縦に並べたような文字列が使用されていた)ではなく、その横に書き込んだ日本語薬を一生懸命覚えながら、「いっそこのまま何もせんと明日の試験をに臨んでやれ。むしろそのほうが自分に忠実だふさわしい行動だ。そう思ったでもやっぱり必死に覚えた。

 何かを否定する事は同時に何かを肯定することだ。だが、僕には今何一つ肯定するもの、できるものはない。ただ心で自分のアウトサイダーを思い知り、行動ではそのアウトサイダーをにやけた笑みを持って遠くへ追いやるだけ。そして僕のアウトサイダーはその復讐として自分を自慢の中にさらけ出し、数倍の力で僕を白けさせる。この繰り返しはもう相当以前から僕の中で「猫いたち」をやっています。

 僕は1時本を読むということが自分の今の勉強だと思った事もありました。文庫本が机の上に積み上がっていてだんだん高くなるの充実感を持って眺めていたものです。何かいろんなことを吸収して偉くなったようなそんな気がしたものです。本を読むこと自体は全くパッシブな作業に過ぎない。自分で考え明確な結論を得る厳しい作業が導き出さなければならないのに。漠然とただ話のために、あぁあれ読んだよ、よかったなぁと言うために読まれるべきものではない。女子供の慰みものであってはならない。本を読むという事はあくまで他の誰にも関わらない自分だけのもの。従って他人にはどうでも良いことでありる。そこからもう1歩外に出て、他の個と相克することで初めてその本質を捉えたことになるのだ。共感したなら実際その通りの生き方をするよう努めなければならない。へえっと感心することが本の使命、存在価値ではない。

 僕はまたしても自分の足跡がぼんやりフェードアウトしているのに気がついた。結局は何も残らなかった。僕は思います。このまま欺瞞のうちに、臆病に表面をとり繕っていたら僕はいつの間にか滅びている自分を見いだすことになると。ついでに予測します。その通りになることを。でも少しくらいは反抗します。
※ 大江について書いているのはこれだけ。人生の方向性定まらずもがいていることだけはよくわかる。人様に読んでいただくほどのものではなかったが、記録として音声入力でコピペしました。

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