3.11から明日で12年。あの時、福島にいた
あすで、東日本大地震から12年になる。当時、ぼくはJICAからモンゴルに派遣されるための研修を終えて、JR郡山駅にいた。4分半、震度6の激震に耐えたが、なんの被害も支障もなく、翌日札幌に戻ることができた。だからこそ、毎年、厳粛な心であの日を振り返り、今なお、深い傷を負って生き続ける人たちのことに想像をめぐらすほかない。
昨日の北海道新聞に福島大学 川崎興太教授(都市計画・まちづくり)の評論が載った。記事を無断で全文転載するのは、著作権を犯すことになるが、どうかお目こぼしを。
注目した文言の横に赤ペンを入れてみた。
〇原発事故直後に国が避難指示を発令した地域に住民票のある被災者は約6万4千人だが、その75%は故郷を離れて避難し続けている。
〇「空間の復興」の恩恵を受けて、「生活再建」言い換えれば「人間のい復興」を果たした被災者は(ごく)限られている。
〇福島では、避難生活における体調の変化などによる「震災関連死」が23000人を超えている。地震や津波などによる直接死の約1.5倍。これまでの復興政策は、多くの震災関連死を防ぐことができないものだった。
〇原発事故から12年になるのに、なぜ心のケアが必要になるのか。課題は2つ。
ひとつは原子力災害からの復興に関する国民全体での総合的な検証
もうひとつは、住民主体の地方自治の強化。原発がソーラーに変わっただけで、東京へのエネルギー供給地としての役割が続いている。
復興とは、東京依存、国依存、行政依存のまちを再生産することではない。住民が 復興の在り方を議論し、地域のことを自ら決定してま
ちを作り上げることが重要である。
住民主体の地方自治の強化。言うは易いが、この12年、打ちひしがれてへとへとになっている住民を同胞としてどうサポートしていけるのか。ぼくにはそんな力、残念ながらない、と思ってしまう。何ができるのだろうか。
昨日の北海道新聞に福島大学 川崎興太教授(都市計画・まちづくり)の評論が載った。記事を無断で全文転載するのは、著作権を犯すことになるが、どうかお目こぼしを。
注目した文言の横に赤ペンを入れてみた。
〇原発事故直後に国が避難指示を発令した地域に住民票のある被災者は約6万4千人だが、その75%は故郷を離れて避難し続けている。
〇「空間の復興」の恩恵を受けて、「生活再建」言い換えれば「人間のい復興」を果たした被災者は(ごく)限られている。
〇福島では、避難生活における体調の変化などによる「震災関連死」が23000人を超えている。地震や津波などによる直接死の約1.5倍。これまでの復興政策は、多くの震災関連死を防ぐことができないものだった。
〇原発事故から12年になるのに、なぜ心のケアが必要になるのか。課題は2つ。
ひとつは原子力災害からの復興に関する国民全体での総合的な検証
もうひとつは、住民主体の地方自治の強化。原発がソーラーに変わっただけで、東京へのエネルギー供給地としての役割が続いている。
復興とは、東京依存、国依存、行政依存のまちを再生産することではない。住民が 復興の在り方を議論し、地域のことを自ら決定してま
ちを作り上げることが重要である。
住民主体の地方自治の強化。言うは易いが、この12年、打ちひしがれてへとへとになっている住民を同胞としてどうサポートしていけるのか。ぼくにはそんな力、残念ながらない、と思ってしまう。何ができるのだろうか。
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