「汚れつちまつた悲しみに」中原中也
昨夜(といっても、日付はきょう3月3日未明だが)、NHKのラジオ深夜便で、俳優の山本学さんが、詩を朗読していた。島崎藤村、中原中也、高村光太郎。ぼくは格別、詩に深い関心があるわけではないが、彼らの代表的な作品は心を込めて鑑賞した時期はあった。高校、大学生だった遠い昔のこと。なかでも、中也の詩集(文庫本だったと思うが)を買って、「汚れつちまつた悲しみに」「サーカス」などをなんども、なんども朗読した。
中也の詩を教えてくれたのは高校時代の友人Tだった。3年間で、クラス一緒だったことはなく、クラブ活動もぼくが野球で、彼はラグビー。親友だったYが3年次にラグビー部の主将をしていたので、Yを通じて仲良くなったのだろう。
Tは吃音だったが、そんなこと気にすることなくよくしゃべった。
いま、インターネットで検索してみると、「汚れつちまつた悲しみに」全文が載っているのでコピペしてみる。
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
Tは詩集を読むときも、そらんじて朗詠するときも、
「よごれっちまった」とは発音せず、
前のほうの小さい「つ」は大きいまま、うしろの「つ」は「まった」と小さく読んだ。
字に書くと「汚れつちまった悲しみに」となる。
その声は、強烈かつ新鮮にぼくの記憶に残る。
その声を聴きながらぼくは
「汚れ土まった」という漢字を思い描いたことを覚えている。
ほんとに、辛い、悲しい思い出が汚れて、土まみれになっていくように聞こえた。
かれは東京の私学に行き、ぼくは大阪に残り、国立の語学学校に入った。
高校時代の友が何人か東京に進学したので、
東京に行ったら、Tにも会った。
Tは相変わらず、吃音をものともせず(ほんとうは葛藤があったのかもしれないが)
よくしゃべった。内容は忘れたが。
ぼくは大学2年のころ、中学生以来の恋をして簡単に振られた。
喧嘩をした翌日、謝りに自宅を訪ねたが会えず、
泣きながら帰る時、
「汚れ”土”まった悲しみに」を呪文のように唱えていた。
Tは高校時代まで住んだ大阪に帰り、スナックバーを営んだ。
北海道から大阪に帰った時、何度も店を訪ねて飲ませてもらった。
残念なことに
何年か前、失踪して今は行方が知れない。
どこかで
「汚れつちまった悲しみに・・」と元気に口ずさんでいるとよいのだが。
中也の詩を教えてくれたのは高校時代の友人Tだった。3年間で、クラス一緒だったことはなく、クラブ活動もぼくが野球で、彼はラグビー。親友だったYが3年次にラグビー部の主将をしていたので、Yを通じて仲良くなったのだろう。
Tは吃音だったが、そんなこと気にすることなくよくしゃべった。
いま、インターネットで検索してみると、「汚れつちまつた悲しみに」全文が載っているのでコピペしてみる。
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
Tは詩集を読むときも、そらんじて朗詠するときも、
「よごれっちまった」とは発音せず、
前のほうの小さい「つ」は大きいまま、うしろの「つ」は「まった」と小さく読んだ。
字に書くと「汚れつちまった悲しみに」となる。
その声は、強烈かつ新鮮にぼくの記憶に残る。
その声を聴きながらぼくは
「汚れ土まった」という漢字を思い描いたことを覚えている。
ほんとに、辛い、悲しい思い出が汚れて、土まみれになっていくように聞こえた。
かれは東京の私学に行き、ぼくは大阪に残り、国立の語学学校に入った。
高校時代の友が何人か東京に進学したので、
東京に行ったら、Tにも会った。
Tは相変わらず、吃音をものともせず(ほんとうは葛藤があったのかもしれないが)
よくしゃべった。内容は忘れたが。
ぼくは大学2年のころ、中学生以来の恋をして簡単に振られた。
喧嘩をした翌日、謝りに自宅を訪ねたが会えず、
泣きながら帰る時、
「汚れ”土”まった悲しみに」を呪文のように唱えていた。
Tは高校時代まで住んだ大阪に帰り、スナックバーを営んだ。
北海道から大阪に帰った時、何度も店を訪ねて飲ませてもらった。
残念なことに
何年か前、失踪して今は行方が知れない。
どこかで
「汚れつちまった悲しみに・・」と元気に口ずさんでいるとよいのだが。
この記事へのコメント
添付いただいたURLから貴ブログ拝読しました。立原、中原の詩の解釈と時代考証、現在との関わりを緻密に論考されています。若い頃に感じた「茶色い戦争」の意味を今再び、自らに問いかけております。