冬の旅人겨울 나그네

韓国仁川から来たという30代の青年に会ったのは、2月28日の朝10時過ぎ。支笏湖ビジターセンターの玄関前風除室だった。ぼくと家人が宿舎の休暇村支笏湖から歩いて20分ほど、まずこの地域の情報を得ようと立ち寄ったら、3月末までの冬季間は火曜が休館と、本館入り口に表示してあった。青年の傍らには大きなキャスター付きスーツケース。一目で遠くからの旅人だとわかる。

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 立ち尽くす青年に 「(閉館で)困ったねえ、どこから来たの?」
「カンコクデス」
「아아 한국 분이세요? 한국의 어디예요?」(ああ、韓国の方ですか、韓国のどこ?)
인천이에요(仁川です)
 
冬の一人旅。韓国語の「겨울 나그네」(キョウル・ナグネ=冬の旅人)ということばを思い出し、青年に言ってみたが、通じなかった。
余談ながら、僕がソウルに住んだ1990年前後、街角にこの「冬の旅人」という名のカフェや飲み屋を何店か見かけた。なにか意味があるのかと韓国人に尋ねたら、ぼくのくる前年ごろ、人気スター、アン・ソンギ(安聖基)主演でヒットした映画のタイトルだそう。映画のタイトルそのものはシューベルトの「冬の旅」をモチーフにしたのかもしれない。映画を観ていないのでわからないが、ハングルの検索エンジンに「冬の旅人」と入れたら、シューベルトの方が先にヒットした。


(閑話休題)
 目の前の冬の旅人は、昨夜はここから10キロほど離れた、丸駒温泉に泊り、朝に新千歳空港行きのバスの出るこの支笏湖中心街まで戻ってきた。12時50分の発車時刻まで湖畔を散策しようと、ケースを預けられるところをビジターセンターに聞きにきたのだった。
「僕らも情報を仕入れようと来たんだけどね。じゃあ預かってくれそうなところをいっしょに探してあげよう。ついていらっしゃい」

 それから、土産物屋や飲食店らしいところ外から覗いてみても、全て鍵が掛けられ人影も見えない。ようやくホテルに併設された手作りケーキ店に女性従業員の姿が見えた。
 スーツケースを持ち上げて2、3段のステップを登ろうとするのを助けようとして気づいた。それが、ぼくがシンガポール特派員時代、近隣諸国に取材旅行する時にケースの重さの目安にしていた20キロよりはるかに重い。30キロほどあるなあ。

「すみません、こういう事情で、この青年のスーツケースを12時まで、どこか隅っこに置かせてやってくれませんか」
「申し訳ありませんが、それは…」
「そこをなんとか。外国人で困ってらっしゃる。じゃあ、わたしが直接、責任者の方にお願いしますから、呼んでくれませんか」
5、6分待って女性より少し歳上の男性が出てきたのでお願いすると、おなじ答えが返ってきた。

「そこを何とか。国際親善だと思って・・・」とスーツケースの重さを思い浮かべて食い下がる。さらに上の責任者がいるのか、男性は奥の方に下がってまた出てくる。「荷物に何かあっても責任とれませんよ」「はいもちろん承知です」と勝手に代弁する。
「お名前は?」をそのまま旅人に伝えると「ユンです」。たぶん「尹」だろう。

必ず12時に戻るよう冬の旅人に行って店の前で別れた。

僕らは旅人とは敢えて反対の方角に歩き、湖畔の水際近くまで。秀峰恵庭岳を背に写真を撮りっこなどする。
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空知川に架かっていた北海道最古の鉄道橋を王子製紙が、貰い受けこの地に移設した赤いトラスの山線鉄橋などをわたったりする。
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12時少し前になり、二人とも腹がすいた。手ごろな食堂を探したが、どこも閉まっている。ぐるぐる歩くうちに、くだんのケーキ屋さんの前に出てしまった。

「夕食までの虫おさえに、ケーキでお茶しよう」で一致。店に入ると、冬の旅人君が先にケーキを注文し終えて奥のラウンジに行こうとしていた。

ぼくらもシュークリームとコーヒーを注文してラウンジへ。旅人君の隣りのテーブルに着いた。

いまは技術系の会社員だが、近く独立して小さなクラフトビール会社を立ち上げるつもり。「昨夜は丸駒温泉の露天風呂に入って星空の下でビールを飲みました。うまかった」と、笑顔で話す。

これから飛行機で女満別、そこから網走に出てオーロラ号で流氷の海を見ます。去年も網走に行ったが流氷がなかったので今年もきました。

「今回を含め北海道は3度目」言ったので、姐さんはすかさず知ってる韓国語で「日本はどうですか?」
間髪を入れず「いいですよ!3度ともとても素晴らしい人に会えました」

三度目の北海道旅行で出会った素晴らしい人というのは、自分たちのことだと勝手に決めていることに気がついた。

旅人君のバスの時間にはまだ間があるので、夫婦で順番に握手、先に店を出た。

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