1匹の鈴虫が死んだ

8月25日(木)から飼い始めた鈴虫8匹のうちの1匹が昨日朝死んだ。早朝水槽の中を透明プラスチック越しに点検したときは8匹を確認したのに、11時ごろ、見ると、とまり木代わりのウニの折に逆さになって止まっているまだ幼虫の1匹がピクリとも動かない。生きているようには見えない。ピンセット代わりに使っている釣り用のペンチでつかんで外に出してみると、やっぱり死んでいた。可哀そうで、悲しかった。

IMG_1730.jpg▲9月3日の朝、鈴虫の幼生。体長1センチぐらい。カリカリにやせ細って絶命していた
 友人のNさんにオスメス4匹ずつを頒けてもらって手塩にかけて育てているつもりだった。オスの大きいものは到来初日から羽を広げてリンリンリーンと元気な声で鳴いているので、みんな元気に育っているものと思っていたのに。
IMG_1734.jpgウニ折りのてっぺんで団扇(うちわ)のような羽をこすり合わせてリンリン-ンと元気になくオスの成虫。幼生はウに折りの右屋根に逆さになって死んでいた
 でもなぜ、プラスチックの外からも見えやすいウニ折りに両足を絡ませ、宙吊りのような姿勢で絶命したのだろうか。ウニ折りの「ハ」の字の下、暗いところにいたはずだから、最後の力を振り絞って、屋根の上に出てきて、生の証(あかし)を主張したのんだろうか。

 それとも、他の虫たちが、屋根の下で絶命した友をウニ折りの屋根の部分に引き上げて、ぼくにその死をしらせたのだろうか。そんなことを考えてしまった。

 鈴虫の死から、人間のことを考えてしまった。同じ時期に生まれた多くの子どものうち、生れながらにして、体に欠陥を有していたり、食が細いために成長できない子もいる。そして大人たち、つまり社会が気付かぬまま、必要な保護が受けられないまま、死んでいく命もある。

 この鈴虫の場合、親、保護者、社会はぼくひとりの責任だ。亡骸(なきがら)を見て、ほかの虫に比べて半分ほどの大きさでしかもカリカリに痩せている。そのことに、死ぬまで全く気が付かなかったぼくの迂闊さ。

 それを知らせるため、自分でまたは仲間が、ぼくの目の前に亡骸を晒したと思えてくる。

 いま1匹の鈴虫が亡くなって2日目の午前4時40分。この机から1メートル離れた床に置いた水槽から、相変わらず元気な鳴き声が断続的に聞こえてくる。彼らだって、あと1,2か月の中に生を終え、うまくいけば交尾して卵を残して死んで行くのだ。

 2012年7月、可愛がっていたミニチュアシュナウザー犬のリキタを5歳で亡くした。もう生き物は飼うまいと思っていたのに。虫なら失っても心の痛手は小さい、というわけではないことに気付くべきだった。

 早世した鈴虫はマンション一階の植木の根元に浅い穴を掘り埋葬してやった。土に還るのに数日もかからないと思えるほどの小さな幼虫だった。


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