紀州のことばはなぜか懐かし
このごろ、らじるらじるの「朗読」で有吉佐和子の「紀ノ川」を聴いている。「鳩子の海」の藤田三保子さんが語る登場人物の紀州言葉が聴いていてほんとに心地よい。

思いますわ・のし
食べますのか・のし
さようでございます・のし
平叙文、疑問文、過去形にも語尾に「のし」がつく。丁寧、尊敬、謙譲を表す。
そういえば、昔、上方の落語家が「紀州の言葉にはのし(熨斗袋の熨斗)がつくから丁寧なのだと、シャレていたのを思い出した。
「よし」という語尾もある。
ちいと(ちょっと)出歩きましたん・よし
いてまいります・よし
のしもよしも丁寧語かと思ったら、こんな表現もあった。
行ったん・よし
これは友だちの間で使っていそうだ。 大阪弁で女の子が「うち、昨日デパートにいったん・よし」と自慢げに使うのと同じかもしれない。
ほかにもある。
兄(あに)さんに訊いていただかしてよ (兄さんにお訊ききになってください)
やかて(そやかて=そうですが)
行っておこしなして(行ってらっしゃいませ)
兄さんはお出かけかい・し(お出かけ(でご不在)ですか?
柿の接ぎ木が着いたしてよ(着いたようです)
紀ノ川流域に行ったことがないぼくなのに、なぜか耳に懐かしい気がするのはなぜだろうと思っていた時、
「ま、ちょっと・・・」という言葉が朗読の中で聞こえた。
そうだ、と思い当たった。「ま、ちょっと」とか「まあちょっと」は「もうちょっと」を示す吉野の言葉と同じなのだ。
「だんない」(大事ない、大丈夫)も吉野の母方の祖母が使っていた。
ここまでは丁寧な言い回しだが、仲間内で使う言葉も出てくる。
「ほんにかいらし(かわいらしい)ごっさんやない・け」(ほんとうに可愛らしい奥さまだこと)。標準語の「〜でない・かい」の「かい」をつづめて「ないけ」というのは大和、吉野、河内の言葉だと思っていたが、紀州もそうだったか。
「よしのり、おまはんげんきケ」とという祖母の声が聞こえる。
和歌山と吉野は隣同士。和歌山の言葉がなんとなく懐かしいのはそのせいなのだろう。
「紀ノ川」の朗読は全50回。有吉佐和子が自分を含む女系3代を描いた自伝的大河小説だという。

思いますわ・のし
食べますのか・のし
さようでございます・のし
平叙文、疑問文、過去形にも語尾に「のし」がつく。丁寧、尊敬、謙譲を表す。
そういえば、昔、上方の落語家が「紀州の言葉にはのし(熨斗袋の熨斗)がつくから丁寧なのだと、シャレていたのを思い出した。
「よし」という語尾もある。
ちいと(ちょっと)出歩きましたん・よし
いてまいります・よし
のしもよしも丁寧語かと思ったら、こんな表現もあった。
行ったん・よし
これは友だちの間で使っていそうだ。 大阪弁で女の子が「うち、昨日デパートにいったん・よし」と自慢げに使うのと同じかもしれない。
ほかにもある。
兄(あに)さんに訊いていただかしてよ (兄さんにお訊ききになってください)
やかて(そやかて=そうですが)
行っておこしなして(行ってらっしゃいませ)
兄さんはお出かけかい・し(お出かけ(でご不在)ですか?
柿の接ぎ木が着いたしてよ(着いたようです)
紀ノ川流域に行ったことがないぼくなのに、なぜか耳に懐かしい気がするのはなぜだろうと思っていた時、
「ま、ちょっと・・・」という言葉が朗読の中で聞こえた。
そうだ、と思い当たった。「ま、ちょっと」とか「まあちょっと」は「もうちょっと」を示す吉野の言葉と同じなのだ。
「だんない」(大事ない、大丈夫)も吉野の母方の祖母が使っていた。
ここまでは丁寧な言い回しだが、仲間内で使う言葉も出てくる。
「ほんにかいらし(かわいらしい)ごっさんやない・け」(ほんとうに可愛らしい奥さまだこと)。標準語の「〜でない・かい」の「かい」をつづめて「ないけ」というのは大和、吉野、河内の言葉だと思っていたが、紀州もそうだったか。
「よしのり、おまはんげんきケ」とという祖母の声が聞こえる。
和歌山と吉野は隣同士。和歌山の言葉がなんとなく懐かしいのはそのせいなのだろう。
「紀ノ川」の朗読は全50回。有吉佐和子が自分を含む女系3代を描いた自伝的大河小説だという。
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