アイヌ語弁論大会を参観

 4日(日)、千歳市民文化センターで開かれたアイヌ語弁論大会を参観してきた。1997年に始まって今年で20回目の記念の大会。発表者は過去最多の55人という。国がやっとアイヌ民族を北方の先住民族と認めたことが、彼らのアイデンティティーと民族の誇りを強めることに少なからず影響しているのかもしれない。

画像
アイヌ語弁論大会の看板=12月4日、千歳市民文化センター入口。イタカン ロ―はアイヌ語で「話をしよう」の意

 実はわたくしは現役記者時代、単発の行事を除いて、きちんとアイヌ問題と向き合った取材をしたことはない。まことに恥ずかしいことだが。

 私立大学で非常勤講師を引き受けているいま、「現代日本の諸相」という講座で、遅まきながら。先住民族アイヌを取り上げることにした。講座を引き受ける約束をした今年春から、資料を集めて読み込む一方、最近の新聞が取り上げるアイヌ民族に関する記事をスクラップし、これまた注意して読んでいる。

 いよいよ次の水曜日の3講時、「概論 アイヌ民族の歴史と文化」を講じる。その矢先、昨日の北海道新聞朝刊に下のような記事が載った。よし、明日行こう。
画像

画像




 JR千歳駅に降り立ったのは弁論大会の始まる30分前の午前9時。駅から7分で着くはずなのに、方角を間違え、9時半を少し過ぎて会場へ。ちょうど主催者の「公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構の中村睦男理事長挨拶中だった。
 トップバッターは阿寒町の小学5年生、廣野大地君。ひいおじいさんの山本多助エカシ(1904年 - 1993年)が伝承したカムイユーカラ「オコッコ チカプ フリュー」(怪鳥フリュー)を一所懸命暗誦して、会場から大きな拍手を受けた。子供の部だけでたしか19人発表したと思う。ほとんどの子は民族衣装をまとい、よく似合っていた。

 大人の部の途中で昼食休憩になり、ロビーで、おにぎりを食べていると。向かいにアイヌの民族衣装を着たキタと同年配の男性が座ったので話しかけてみた。木村二三夫さん。「二年前から本格的にアイヌ語を勉強して、今回、初めて出るんだ。私のこと、昨日の道新に出てただろう」
 
 帰宅してから読み直してみると、こんなことが書かれていた。
  今回初めて出場する木村二三夫さん(67)は「これまで劣等感があってアイヌ民族であることをあまり表に出したくなかった」と振り返る最近では平取りアイヌ協会の副会長を務め、6月からアイヌ語教室に通い始めた。

 休憩後3人目に登場した木村さんは、「ポンヤウウンぺ マチヒアエイッカ」(ポンヤウンぺの妻がかどわかされた)を発表した。プログラムの解説によると、これは「萱野茂のアイヌ神話集成第10巻資料編1」から取られた。

画像
初出場ながら、堂々とユーカラを詠じる木村二三夫さん
画像
「iraoy upp 白老座り歌」を7人で歌う白老キロロアンウタラ

 発表はまだまだ続いていたが、朝早く家を出た上、道に迷ったこともあり、午後2時ごろになると、どっと疲れが出てきたので中座することにした。

 北海道新聞静内支局長も来ていたので、挨拶して帰りました。

 プログラムによると、55人の発表者は道内だけでなく、東京や静岡など本州からも。アイヌ民族ばかりとは限らないだろう。私もアイヌ語を勉強してみたくなった。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック