北海道の映画館史を訪ねて
昨年から時々朝日新聞地方版の北海道映画館グラフィティー連載を手つだっていて思うのですが、どこの自治体にも必ずあるあの分厚い市町村史が資料(史料)としてほとんど役に立たない。住民の文化史そのものの記述が圧倒的に貧弱です。
▲根室最後の映画館「北映劇場」(1988年閉館)。上映中の「サラリーマン弥次喜多道中」は藤木悠、高島忠夫主演1961年、(昭和36年)作品。根室の元映画館関係者の写真をコピーさせていただきました。この映画館の開館年はついにわからなかった
これまで士別市、稚内市、根室市、厚岸町に行って映画館とその周辺を取材しました。4つの市町で常設館があるのは稚内の1館だけ。ほかはことごとく消え去っていました。すでに閉館したかつての地域の娯楽の殿堂について調べようとまず、札幌中央図書館に行って市町村史閲覧しても、映画館の歴史の記述は極めて希薄です。
地元には地元ならではの資料があるかもしれない、と淡い期待をいだいて乗りこんでみる。あるにはあるが断片的なものばかり。そこで、それらの資料を手掛かりに郷土史家や映画のオールドファンを訪ね、古い記憶をたどってもらって、輪郭に肉付けしていく。
まあ、新聞記者時代の取材の手法と同じですねえ。新事実に出合った時の喜びも同じ。
でも、市町村史には「文化」そのものの記述が薄い。文化の項はたいてい文化団体と文化施設の紹介程度。どこでどんな演劇、演芸、音楽が演じられたかとか、映画館の興業史はほとんどお目にかかれない。
映画はかつて、日本人の娯楽の中心でした。テレビが普及するまでは。とりわけ、ミヤコから遠く離れた北海道は中央の芸能をライブで楽しむ機会が本州に比べて少ないので、どんな小さな自治体にも必ず1館や2館はありました。
先週訪ねた道東の漁業・水産都市、根室には人口5万たらずの昭和30年代に、常設館で6館、漁船乗組員で膨れ上がる盛漁期には夜だけ営業する「非常設館」も港にあった。
ところがテレビの普及、レンタルビデオ・DVDの普及と低廉化という日本共通の歴史と、昭和52年(1977年)からの200カイリ規制による北海道水産業衰退史の「死の合わせ技」によって映画館はひとつ消え、二つ消え、昭和が終わる前の年、1988年、根室最後の映画館、北映劇場も閉館してしまった。
映画館盛衰史は、過疎化という「地域破壊」が進む道内地方都市に共通しているのでしょう。「昔はよかったねえ」で終わるためでなく、地域の住民生活の「幸せ度」を計るものさしとしてのサブカルチャーの実態を記録することは、市町村史の大事な要素ではなかったか。
しかし、北海道の市町村史の実情は町の行政史や経済史が中心。住民の目線で編集されたとは言い難いステレオタイプのものが多いような気がします。
北海道新聞社時代の1年先輩で、間もなく札幌市生涯教育振興財団理事長を勇退される前川公美夫氏の著作に「明治期北海道映画史」(2012年、亜璃西社刊)があります。先日、北の映像ミュージアムに立ち寄られた氏に同書のことを尋ねると、「明治のことを書くだけでも、膨大になり、これから大正、昭和のことまで書くのは…」と言葉を濁されていました。
北海道の映画館史。光を当てる意義のあるテーマではあります。
▲根室最後の映画館「北映劇場」(1988年閉館)。上映中の「サラリーマン弥次喜多道中」は藤木悠、高島忠夫主演1961年、(昭和36年)作品。根室の元映画館関係者の写真をコピーさせていただきました。この映画館の開館年はついにわからなかった
これまで士別市、稚内市、根室市、厚岸町に行って映画館とその周辺を取材しました。4つの市町で常設館があるのは稚内の1館だけ。ほかはことごとく消え去っていました。すでに閉館したかつての地域の娯楽の殿堂について調べようとまず、札幌中央図書館に行って市町村史閲覧しても、映画館の歴史の記述は極めて希薄です。
地元には地元ならではの資料があるかもしれない、と淡い期待をいだいて乗りこんでみる。あるにはあるが断片的なものばかり。そこで、それらの資料を手掛かりに郷土史家や映画のオールドファンを訪ね、古い記憶をたどってもらって、輪郭に肉付けしていく。
まあ、新聞記者時代の取材の手法と同じですねえ。新事実に出合った時の喜びも同じ。
でも、市町村史には「文化」そのものの記述が薄い。文化の項はたいてい文化団体と文化施設の紹介程度。どこでどんな演劇、演芸、音楽が演じられたかとか、映画館の興業史はほとんどお目にかかれない。
映画はかつて、日本人の娯楽の中心でした。テレビが普及するまでは。とりわけ、ミヤコから遠く離れた北海道は中央の芸能をライブで楽しむ機会が本州に比べて少ないので、どんな小さな自治体にも必ず1館や2館はありました。
先週訪ねた道東の漁業・水産都市、根室には人口5万たらずの昭和30年代に、常設館で6館、漁船乗組員で膨れ上がる盛漁期には夜だけ営業する「非常設館」も港にあった。
ところがテレビの普及、レンタルビデオ・DVDの普及と低廉化という日本共通の歴史と、昭和52年(1977年)からの200カイリ規制による北海道水産業衰退史の「死の合わせ技」によって映画館はひとつ消え、二つ消え、昭和が終わる前の年、1988年、根室最後の映画館、北映劇場も閉館してしまった。
映画館盛衰史は、過疎化という「地域破壊」が進む道内地方都市に共通しているのでしょう。「昔はよかったねえ」で終わるためでなく、地域の住民生活の「幸せ度」を計るものさしとしてのサブカルチャーの実態を記録することは、市町村史の大事な要素ではなかったか。
しかし、北海道の市町村史の実情は町の行政史や経済史が中心。住民の目線で編集されたとは言い難いステレオタイプのものが多いような気がします。
北海道新聞社時代の1年先輩で、間もなく札幌市生涯教育振興財団理事長を勇退される前川公美夫氏の著作に「明治期北海道映画史」(2012年、亜璃西社刊)があります。先日、北の映像ミュージアムに立ち寄られた氏に同書のことを尋ねると、「明治のことを書くだけでも、膨大になり、これから大正、昭和のことまで書くのは…」と言葉を濁されていました。
北海道の映画館史。光を当てる意義のあるテーマではあります。
この記事へのコメント
「◎根室市にあった映画館の地図、1960年代に5館もあった、根室最後の映画館「北映劇場」は1988年(昭和63年)に閉館」
貴サイトの記事と北映劇場の写真を引用&転載紹介させていただきました。
なお、誤植がありました。
「1983年、根室最後の映画館」は「1988年」
コメント投稿ありがとうございます。パソコン持たずに旅に出ていたので返信遅くなりました。
1914年当時の根室取材を思い出します。根室市内でラーメン店を経営する元北映劇場従業員から話を聞き、さらに首都圏に住む最後の経営者の親族と☎で話しましたが、朝日新聞に掲載した以上のことは聴けなかった。残念な気持ちでした。
閉館年はブロブの写真説明の1988年が正しく、本文1983年は転記ミスでした。ご指摘ありがとうございます。