騙すな、騙されるな

 記者の心得について。元北海道新聞記者で、今は高知新聞社会部記者(Facebookの自己情報による)の高田昌幸さんが卓越した見解を述べられている。これからジャーナリズムを目指す若者には大いに参考になるので、無断でFacebookから転載させていただきます。


 高田さんは、キタの道新社会部デスク時代、同じ部の記者だったが、私ごとき者がもうなにも教えるものはないくらい優れた記者でした。ちなみに、わたくしも、「記者とはなにか」と聞かれたら、「質問する仕事」といつもこたえています。「いつも心にクエスチョン」とも。以下太字でコピペします。


 「記者にとって一番大事なことは何か」。若い記者や学生さんから時々、そう聞かれる。答えは決まっている。先日、早稲田大学で「ジャーナリズム・カフェ」という催しがあり、そこでも同じ話をしてきた。

答えは何か?

圧倒的な知識量、である。圧倒的な勉強、である。

ひと昔前、新聞社は体育会のようであり、軍隊のようであり、だった。警察担当記者に象徴的に残る風習がまさにそれだった。しかし、そんな時代はとうに終わっている。新聞社の組織内にはそれが残っていたとしても、そんなものはとうに時代の垢になってしまっている。

何のための、圧倒的な知識量、か。

簡単である。相手に騙されないため、だ。

相手の虚言や虚飾を見破り、きちんとした質問を繰り出すためだ。取材はすべて質問から始まる。報道は質問から始まる。ならば、その質問力を鍛えるのは当然であり、質問者もしっかりと可能な限り、レベルを高めていかねばならない。自明の理だ。

記者は過去、さんざん騙されてきた。一緒になって騙しもした。満州事変、日中戦争、太平洋戦争。3・11とそれに伴う原発事故もまたしかり、である。

情報の受け手をもう2度と騙してはいけない。
1945年夏のあと、われわれの先輩たちは(全員ではないにしても)そう思ったはずである。そう、2度と騙してはいけないのだ。騙さないためには、記者がまず、騙されてはいけない。だから、その第一歩として「圧倒的な知識」「勉強勉強、また勉強だ」と私は言っている。

報道で騙してはいけない。そのために騙されてはいけない。
騙さないこと、騙されないこと。

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